1802年から1945年までの143年間の長きにわたり、ベトナム最後の王朝がおかれた、グエン朝王宮はフエを象徴する観光スポット。世界遺産に登録されている建築物の中でも最高峰です。
周囲2.5km(南北604m、東西620m)の城壁に囲まれた、約3.6 平方キロメートルの広大な敷地内には、宮廷文化を今に伝える建築物が残っています。また、 王宮内にある閲是堂ではユネスコの無形文化遺産に認定されている、宮廷雅楽を観賞することができます。
ベトナム戦争によりその大半が大破されましたが、現在は修復が進み多くの建築物が往事の姿を見せてくれます。
広大な敷地面積を歩いていると、歴史の重みを感じることができます。
◆グエン朝王宮 / Đại Nội
料金:大人 200,000VND / 子供(7 - 12歳) 40,000VND
※フエ王宮とフエ宮廷骨董博物館の入場料を含む
開館: 7:00〜 18:00(年中無休)
王宮中央エリア
午門 / Ngọ Môn
王宮の南に位置する正門で高さは約17m、幅は約58mあります。
1805年に初代皇帝ザーロン帝により築かれた見張り台「南関台」を2代皇帝ミンマン帝が改築し1833年に建てられました。「午」は南の方位を意味し、古代中国の聖人君子が南から天下に耳を傾ければ、世の中は平和に治まるとの考えに由来しているほか、正午になると門の真上に太陽がのぼることから、この名がついたと言われています。
コの字型の門に5つの入口があり、中央が皇帝と各国の大使、向かって右(右夾門)が文官、左(左夾門)が武官のための入口。そのさらに両端にある2つの入口(右闕門、左闕門)は兵士・馬・象が使用していました。男性だけがこの門からの出入りを許されており、皇后であっても他の門を使用しなければなりませんでした。
午門の2階は「五鳳凰樓」とよばれており、新年の挨拶と科挙の合格発表のときにに皇帝がすがたを表しました。1945年8月30日に最後の皇帝パオダイ帝が退位(王朝の終焉)を告げたのもこの門からでした。
※五鳳凰樓は現在改修中で2階に上がることはできません。
※午門は入場専用で、退場は東門(顕仁門)か北門(和平門)からしかできませんので注意ください。
太和殿 / Thái Hoà Điện
午門をくぐって正面に太和殿があります。ここでは皇帝の即位式などの朝儀がおこなわれました。女性は決して立ち入ることができず、皇后も例外ではありませんでした。内部には皇帝の玉座がおかれ、80本の柱には皇帝を象徴する龍の装飾が施されています。建築はベトナムの伝統建築である2棟連棟形式(前殿と正殿を回廊で繋ぐ方式)で建てられています。棟の連結部分を外から見ると、吐水口に怪魚の装飾を見ることができます。
1805年にザーロン帝によって建てられ、その後1833年にミンマン帝が改修しています。ベトナム戦争中の1968年テト攻勢で完全に破壊されてしまいました。その後、1970年に再建されました。
殿の前にある拝庭には官吏が地位の順にならび、その位置に役職(正一品など)がかかれた石碑が置かれています。
※玉座は撮影が禁止されていますので注意ください。
馬厰(ばしょう)・象厰(ぞうしょう)
象と馬を扱う官衙でした。太和殿の左右の敷地にあり、世話をする役所もあわせて置かれてましたが現在は失われています。
右廡・左廡 / Hừu Vu ・ Tả Vu
高級官吏の詰め所であった建築物です。太和殿をぬけて、向かって左が右廡、右が左廡になります。右廡は武官が左廡は文官がそれぞれ使用していました。現在の左廡は王朝についての展示スペース、右廡は皇帝の衣装をきて記念撮影ができるスペースになっています。撮影料金は衣装・玉座での撮影で95,000VND、宮女2人を侍らせての撮影で145,000VNDです。別料金でお皿やコップにプリントするサービスもあります。
紫禁城 / Tử Cấm Thành
紫禁城は王宮内部の宮殿地域で皇帝の政務および生活区画として王宮内の他の施設と分け隔てて1804年に建設されました。
周囲約1km(東西342m南北308m)高さ約3mの周壁に囲まれている敷地は凡そ京都御所の半分ぐらいの面積です。紫禁城は主要な建物が南北方向に一直線に並んでいました。
南の大宮門を先頭に皇帝が政務を執とった「勤政殿 / Điện Cần Chánh」、皇帝の寝所であった「乾成殿 / Điện Càn Thành」、後宮の中心となっていた「坤泰宮 / Cung Khôn Thái」と配列されていましたが、1947年にフランス軍との交戦により失われ今はそれらを結んでいた回廊のみが残っています。
さらにその背後には明遠樓(1824年建立)を、カイディン帝が1923年に改築して建てた、正面66mにもおよぶ煉瓦造の美しいバロック建築「建中樓 / Lầu Kiến Trung」がありましたがこちらも失われています。草に埋もれた基壇のタイルが往事の姿を偲ばせます。
閲是堂 / Duyệt Thị Đường
2代皇帝のミンマン帝の命により1826年に建設されたベトナム最古の劇場です。皇帝や皇族たち、外国の大使が舞台芸術、特に宮廷雅楽を観賞しました。
現在ここではユネスコ文化世界無形遺産に指定された王宮舞踊音楽を楽しむ事が出来ます。公演は1日に2回、午前10時と午後3時に各40分間おこなわれます。楽器の演奏だけでなく、ベトナムの獅子舞、アオザイを着た女性の踊り、戯曲と多彩な内容になっていて見応えは十分です。
※観賞料金は王宮の入場料とは別に200,000VND必要です。
※観客の人数が5人集まらない場合、開催されません。
※閲是堂内は無料で見学できます(公演時を除く)。宮廷音楽の楽器や戯曲で使う仮面が展示されています。
太平樓 / Thái Bình Lâu
1844年に3代皇帝ティエウチー帝によって建てられた書暇清樓(Thư Hạ Thanh Lâu)を基礎として、12代皇帝カイディン帝により1919年から1921年に建てられました。現在の建物は2010〜2015年に修復されたものです。ここでは皇帝が作詩、読書をする書斎のような役割を持っていました。
四方無事樓 / Lầu Tứ Phương Vô Sự
王宮北の平和門の上にある建築です。1923年のフランス統治時代にカイディン帝の命によって、王宮の北に建つ平和門とともに建立され、皇太子と皇太子妃の勉強する場所として使われていたそうです。
現在はカフェになっており、旧市街を見渡しながらお茶することができます。伝統様式の中に見えるカイディン帝が好んだフランス様式(シャンデリアなど)も見どころのひとつです。
※王宮に入場しなくても利用できます。
※詳しくはこちらをご覧ください。
王宮東側エリア
顕臨閣 / Hiển Lâm Các
世廟の前閣にあたる1821年に建てらた三階層の建物です。顕臨閣の左には上層に鼓楼がある崇功門が、右には上層に鐘楼がある峻烈門があります。
裏手には九鼎(きゅうてい)がおかれています。鼎(かなえ)とは、三本足で立つ青銅製の釜のような金属祭器のことであり、九鼎は古代中国において天子(=王権)の象徴とされているものでした。グエン王朝ではミンマン帝により鋳造され、1つにつき重さ約2.5t、高さ約1.5m、口径約1.4mもあります。各鼎には高・仁・章・英・毅・純・宣・裕・玄の字が刻まれ、またそれらの全体にはフォーン川(香河)や御屏山などの景勝をはじめ、虎や象などの動植物、天体などの様々なモチーフが施されているので注目してみてください。
世廟 / Thế Miếu
1821年に建てられたグエン王朝の歴代皇帝の位牌を祀る場所です。2棟連棟形式で建てられた13間の横に長い廟の中には10人の皇帝の祭壇が柱間におかれています。皇帝は全部で13人いましたが5代ズクドゥク帝と6代ヒエプホア帝は廃位、13代バオダイ帝は退位してフランスに亡命したため祭壇はありません。(なお流刑となっていた8代ハムギ帝、10代タインタイ帝、11代ズイタン帝の祭壇は1958年におかれたものです。)
祭壇には肖像と皇帝および皇后の位牌が祀られています。祭壇脇の日傘は皇帝が外出時に使用されたものと言われています。中央の祭壇が初代皇帝ザーロン帝、その左は2代ミンマン帝、右は3代ティエウチー帝と、左右に後の皇帝が連なるならびになっています。
興廟 / Hưng Miếu
世廟の北に位置する興廟は1804年に建てられた初代皇帝ザーロン帝の父、グエン・フック・ルアン(グエン王朝のルーツである広南朝の王族・第8代皇帝の武王の次男)を祀る場所です。
興廟は建立当初は皇考廟と呼ばれていたが、ミンマン帝により改修・移建(1821年)されたさいに興廟と改められた。1947年にフランス軍との交戦により焼失し、現在の建築は1951年に瑞輝皇太后によって再建されたものです。
奉先殿 / Điện Phụng Tiên
主に阮朝の皇后を祀る廟所でした。現在は戦火により消失し基礎のみが残っています。
建築家の安藤忠雄氏は王宮を訪れた際に「苔むし、朽ち果ててゆく王宮を前に、しかし私は、ある美しさにうたれた。歴代の皇帝たちがみた。激しい夢の残骸。夢の結末が無惨であったからこそ、この都は美的に完成されたといえるかもしれない。権力者たちがみた夢が、大きければ大きいほど、廃墟は美しい。」と語っています。(NHK美の回廊をゆく3)なにもないがゆえに静寂の中に歴史を感じる空間になっています。
延寿宮 / Cung Diên Thọ
延寿宮は1804年に建てられ、皇太后(皇帝の母親)の住居として使われました。
門をくぐると、障壁をはさんで前庭があり、前庭の後方に延寿宮があります。前庭の西側にはフランス風の二階建建造物である静明楼があり、東側には左恭が置かれています。静明楼は1932年にドンカイン帝皇后の医院として建造されもので、健康のために湿気の多いヴェトナムの伝統建築ではなく、風通しがよいフランス・コロニアル建築様式になっています。
現在、延寿宮と左恭には当時の豪華な椅子・テーブルなどの調度品が置かれており、皇帝一族の豪華な生活様式を現在に伝えています。
長寧宮(長生宮) / Cung Trường Sanh
王宮内の北西に位置し、1821年に建てられ皇太后の宮殿として使われれました。
現在はカフェ・展示スペースになっており、宮廷茶(1ポット:50.000VND)が楽しめたり、王族が身にまとっていた伝統衣装の展示やを鑑賞することもできます。また、ベトナムのデザイナーによる現代風のアオザイやアクセサリー、フエならではの素敵な工芸品やお土産を展示、販売しています。
王宮西側エリア
太廟 / Thái Miếu
グエン王朝のルーツ(先祖)である広南国(1558年−1777年)の歴代皇帝を祀るために1802年に建てられた廟です。1947年にフランス軍との交戦によって破壊された、現在は復元されているが状態はよくなく、更なる修復が待たれている。ただし付属施設の隆徳殿は1832年建立当初の姿をとどめています。
グエン王朝が成立する以前、フエの地は広南朝が治めていました。広南阮氏は9代にわたって続きましたが、やがて西山朝に打倒されます。広南朝の皇族は皆殺しにあいましたが、ひとりだけ生き残りました。それが後に西山朝を打倒したグエン・フック・アイン(阮福映)であり、のちのザーロン帝です。ザーロン帝は王宮の建造を開始すると、まず太廟の建設に着手しました。ザーロン帝は広南朝の武王(位1738~65)の孫にあたり、広南阮氏の正統を継いだことを明らかにする必要があり、そのため真っ先に歴代の主を祀る太廟を建設したといわれています。
また、ザーロン帝はグエン王朝成立の暁に、一族の仇である西山朝の皇族を太廟に捧げて復讐を成し遂げたことを報告すると、そのまま城外に引きずり出し処刑したと伝わっています。
肇廟 / Triệu Miếu
太廟の裏手にある肇廟は1803年に建てられた、広南朝の太祖ティエン・グエン・ホアンの父、グエン・キムを祀る場所です。太廟と同様に状態が良くなく修復がまたれています。
内務府 / Phủ Nội Vụ
内務府は皇帝の生活実務を司る役所で、日本でいうところの宮内庁にあたります。1802年に設置されましたが、現在の建物はパオダイ帝によって1933年に建造されたものです。
約2ヘクタールある敷地内には、倉庫設備もあり宮廷内で使用する宝物や用品をつくったり、保管する場所でもありました。
幾暇園 欽分殿 / Vườn Cơ Hạ và Điện Khâm Văn
幾暇園と欽分殿は王宮庭園のひとつです。1837年ミンマン帝の命により建立され、ティウチー帝、トゥドゥック帝の時代に何度か修復されました。
ここは皇太子が勉学に勤しみ、時には休息をとる場所として使われていました。特に漢詩を好んだティエウチー帝は景勝地であるこの庭園で詩文をつくりました。詩の碑文が今でもいくつか残っています。庭園には大きな盆栽がいくつもおいてあり、日本の盆栽と比べてみるのも楽しみ方のひとつです。
瀛州(えいしゅう) / Hậu Hồ
和平門の東北隅に位置する庭園です。園池である金水湖が中心となっており、堂や楼・亭などを備えた景勝地で、ここもティエウチー帝の作詩対象になっていました。ちなみに瀛州とは古代中国において、仙人の住むという東方の三神山(蓬莱・方丈)の名の一つです。
王宮のライトアップ